それでもレポートは書くべき

2年目の去年、やっと気づいたことがありました。

成績は科目試験の点数でつけられるということ。

シラバスにもちゃんと書いてあります。あったりまえなんですが、身にしみていなかったんです。

というわけで、いくら渾身の、大傑作のレポートを書いても、試験でしくじったらその成績が残ります。

2017年度7月試験の後くらいにこれを再認識してから、勉強のやり方を変えなくてはと思い始めました。レポートは体裁だけ整っていてシラバスに沿った内容であればよし。深い洞察や緻密な理論だては要らない。凝ったレポートは書かなくてよい。レポートにかける時間をテキスト学習にかけるべき。

というのも私は参考文献を選びすぎて、膨れあがった大量の資料に埋もれながら、レポートに全力投球してしまいがちだったからです。

それでも一つのテーマにじっくり取り組むことができるレポート執筆は私にとってとても魅力的な作業であり、それを削るのは難しいです。まだ勉強方法の切り替えはうまくできていません。

そして、レポートは二の次でいいじゃん、とにかく提出して、受験資格を得るのが優先事項だよ、と割り切りながらも、やっぱりたくさんレポートを書いた方がいい、というのが今日のブログの趣旨です。

それはなぜかというと、たくさん書かないと書けるようにならないからです。書く作業は慣れてうまくなっていく側面もあるというのも、2年目にして実感したことでした。おかげで去年から今年にかけては、書いても何の成績にもならないレポートを書いて、教授に提出したりしていました。自主トレみたいな感じでしょうか。哲学専攻の大学院生の先輩ができたので、書いたレポートを読んでもらったりもしました。論建てが甘い、体裁もよくない、と厳しい指摘を受けました。(通信だからなのかどうかはわかりませんが、レポの採点が厳しくないなあと感じることは今までもありました)

卒論を書くためには、たくさんレポートは書いた方がいいです。できれば、出された課題だけでなくて、自分の好きな分野、専攻したい分野、なんなら卒論を書きたい分野で、自主的に書いてもいいくらいです。だって、通信の科目ってたくさんあるようで意外と少なくて、私が書きたい科目のレポートは一回しか書けないんだもん。その一回でうっかり通ってしまったらもう卒論まで書けないんですよね。(実はわざと失効させてもう一回書いたりもしていますが、こればっかりやってるといつまでも卒業できないですからね…)

相変わらず卒論のテーマは決まっていないんですが、この分野で行こうと決心したせいか、1類の他の科目で書くときでも常に自分の専門は意識するようになりました。その結果やたら難解な文献を読む羽目になったりもしていますが(社会学史Ⅱなんかはその代表例です)自分の力にはなっていると思えるのでもうこれでいいや!

3年目を前に迷走していますが、来年度はどうなることやら。しかし勉強は奥が深いですねぇ。