消滅する言語
以前ご紹介したこの記事
ご記憶でしょうか。シェイクスピアの英語を再現するというものですが、ここでご紹介した、時代や社会情勢によって消えゆく言語を惜しみ、保存を進めてきたウェールズ大学のデイヴィッド・クリスタル名誉教授の著書、ようやく読みました。
- 作者: デイヴィッドクリスタル,David Crystal,斎藤兆史,三谷裕美
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/11
- メディア: 新書
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調査結果や統計データを用いて言語の危機について警鐘を鳴らすハードな内容でした。そもそも地球上に言語がいくつあるかということすら、正確な数字が把握されているわけではないという前提で、それでも概算で2週間に一つの割合で言語が消えているそうです。
言語は維持するための努力を怠ると簡単に消滅します。言語がなくなるということは、その言語でないと表現できない文化もなくなるということです。
こういう本があるのをご存知の方もいらっしゃると思います。本の内容には賛否両論あるようですが、この本に書かれている「翻訳できない言葉」というのはその文化特有の現象や物事を表していることが多いので、言語がなくなるとそれを継承する人もいなくなり、文化そのものが死んでしまうんですね。
そういう意味で、クリスタル先生の本の中でも、「いっそ単一言語で世界統一しちゃえば意思の疎通が楽なのでは」という発想には厳しい批判が書かれています。そういう簡単なもんじゃないんだ。一つの言語で世界中の全てを言い表すことはできないんだ、と。
言語の消滅は、災害や戦争で民族が丸ごといなくなってしまう時だけでなく、優勢言語に少数言語が圧迫された時にも起こります。話者が自分の言語に誇りを持てなくなると、その言語は消滅の危機に陥りはじめます。今のところ日本語話者の数は億を超えてはいますが、ぼーっとしていると英語に押されて日本語の存在価値が下がり、いつのまにかなくなってしまうことは十分考えられることなのです。
日本では英語教育の若年齢化が著しいですが、私自身その風潮には懐疑的です。英語が話せることが一つの「優れた技能」となっている今、これから子供たちの価値観が「日本語より英語」にシフトした時、次世代の日本語は消滅までのカウントダウンに入ってしまうと言っても過言ではない気がしています。
学友の中には英語教育に携わる方もいらっしゃるのですが、日本語あっての英語だということ、世界には英語以外の魅力的な言語もたくさんあることなども伝えて欲しいなあ、と思います。
訳者あとがきが非常に示唆に富んでいてよかったです。なんだかんだ言ってクリスタル先生は英語圏の人だし(ウェールズ育ちなので厳密にはそうでもないですし、ご本人はウェールズ語の保存にも熱心なようです)少数言語に対してどこか上から目線で書いてるよね、という指摘や、日本語の存続に対する危機感が書かれています。
だが、十七世紀に書かれた日本語と英語の文学作品を読み比べてみるがいい。現代英語の知識で当時の英語は読めるが、井原西鶴の文章など日本人にとっても外国語同然である。
(中略)
日本人は、英語、英語と大騒ぎをする前に、まず自分たちの言語に自信をもち、それを大事な文化資源として保存していくことを優先すべきなのである。
それだけ英語はあんまり変わってないということとか、日本語はすごく振れ幅が激しいということも言えるとは思うんですが、自分でも日本語の古典は敬遠しがちなので、ちょっと、いやだいぶ反省しました。
3類国文学の人、ほんと頑張って欲しい(丸投げしてどうする…)。
クリスタル先生の本は、話者の少ない危機言語の調査と保存(辞書作成など)にはこのくらいお金がかかるとか、チームでフィールドワークをする時の心構えとか、実践的な内容で締めくくられていました。言語学の人たちも頑張って欲しい。自分ではできないけど、応援は惜しみません。
内容とはあんまり関係ないんだけど、今まで勉強してきたことが本の中に出てくると「おおっ」と思いますね。アイルランドのじゃがいも飢饉とか、コイサン語族の舌打ちとか。(後者は最近聞きに行った言語学コロキアムでMITの宮川先生も熱く語っていらっしゃいました)