ちょっとまじめな話

コメントなどで学友から「勉強会に出ていてすごい」と言っていただいたりして、恐縮しています。確かに、仕事をしながら通信で勉強しているだけでも大変なのに、わざわざ外部の勉強会に出たりするのはすごいこと、なのかもしれないです。私も他の人がそうしていたら「すごい!」と思うと思います。

どうしてそんなことやってるのかなぁ、と自分でも思い返してみたんですが…。

私は通信制大学2校目なんですが、前の大学にいた頃から、勉強して試験を受けて単位を取っても、本当にわかってるのかな、という疑問がいつもありました。レポートだって苦労して書いてるし、試験もそれなりに勉強して臨んでいるし、わかってないっていうことはなさそうなのですが、例えば自分の専門分野としてちゃんと理解していて人にも説明できるかというと、決してそんなことはないなあというのも感じます。

せめて、試験(科目試験もスクも)の答案が採点後に返却されて、自分でもどこをどう間違ったのかがわかって、そこをちゃんと補完してから先に進めればいいような気もしますが、そういうシステムにはなっていないですし…。自己採点でわかる科目もあるけど、論述試験だったら自己採点って当てにならないですよね。特に文学部は。特に哲学とか倫理学とかは。1類だからこんなところに引っかかるのか?

どうも私は、今の勉強だけでほんとに足りてるのかなあという焦りがあることと、同じ分野を勉強している人に会って話を聞くことで、あーやっぱりまだまだだなあと自分を客観視できて、足りない部分を自覚できるというメリットがあると感じることから、外部の勉強会や講演会に行っているようです。

学友の中には「慶應卒の学位がもらえればそれでいいから、勉強も深くやる必要ない、とにかく単位が取れればいい」という人もいて、それはそれで別に構わないと思うし私は否定はしませんが、その人たちから見るとむしろこっちが少数派で変な人で物好き、みたいになってしまうのはちょっと悲しいかなぁ。

物好きな勉強好きでも、そういう人もいるんだーくらい思ってもらえると嬉しいです。